Virtual Reality

VR黎明期の振り返る – 「VR原論」の後日譚

VR黎明期の振り返る – 「VR原論」の後日譚

最近、「人工現実感の世界[1]」のリニューアル版として「VR原論[2]」の刊行がありました。時期的には、1990年にホールアース研究所により開催されたサイバーソン(Cyberthon)[3][4]前後の、当時のVRの雰囲気をまとめた書籍です。 「人工現実感の世界」は、VR黎明期当時のVRを取り巻く状況を取材したものであり、その刊行時期において「思考のための道具」などでも著名なラインゴールド(Howard Rheingold)氏の「Virtual Reality(邦訳:バーチャル・リアリティ)[5][6]」に匹敵する、VR黎明期の状況をまとめた先駆的な書籍であると思います。 「VR原論」では、「人工現実感の世界」が発刊された1990年前後の状況についての対談形式での補足があり、今回の記事はその対談に触発されてものです。私自身も「人工現実感の世界」の発刊に感銘をうけた世代でもあり、なんとも懐かしく読んでしまいました。 「VR原論」の冒頭にもありますが、黎明期のVRが忘れ去られているのは、驚きでもあり残念でもあります。考えてみれば、VR黎明期は、いまのようにインターネットやデジタルカメラが普及しておらずデジタルコンテンツは残りづらく、「人工現実感の世界」がそうであったように書籍も絶版になっているため、致し方ないことかもしれません。 私自身は、1990年代のVR黎明期から2000年のVRML盛衰頃までは、仕事も趣味もどっぷりVR/3Dに浸かった生活だったのですが「HMDとグローブをしながらプログラミングしていた」なんて話をすると驚かれてしまい、こちらも驚いてしまいます。 今回は「人工現実感の世界」の発刊以降の1991年から、インターネットが普及する1995年ぐらいまでの、VR黎明期の失われた時代の状況を、手持ちの資料や関連書籍を参考にしつつ、振り返ってみたいと思います。 「Reality Engine Builders」たちのその後 「人工現実感の世界」は、1990年前後の米国と日本のVRの状況を取材した書籍で、その中に「Reality Engine Builders」として紹介されている米国のVRベンチャーが紹介されています。以下の写真は、その当時よく引用されていたVR黎明期のNASAエイムズ研究所の写真[10]でNASAのHMDとVR原論に登場するVPL社のデータグローブを装着しています。まずはVR原論で紹介されていたベンチャーのその後を補足してみたいと思います。 VR原論に登場する米国のVRベンチャーは、いずれも低価格のVRシステムやVR専用のSDK(Software Development Kit)の商用販売に挑戦していきます。 ただ、結末としては、これらの米国のVRベンチャー達は、1995年以降のPC/3Dグラフィックス性能の劇的な向上および、OpenGLやDirect3Dなどの3DAPIの標準化の影響もあり、彼らのVR専用システムおよびSDK(独自3DグラフィックスAPI + VRデバイス対応)は、徐々に姿を消すことになります。 VPL Research 実質的な活動期間は短かったとしても、VPL (Virtual Programming Languages) Researchおよび、ジャロン(Jaron Lanier)氏が、現在につながるVR(Virtual Reality)の概念および名称を一般にさせ、黎明期のVRブームの立役者であることは、皆さんの異論のないところだと思います。 世界初となるデーターグローブやアイフォンを商品化したVPL…

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